港南台サッカークラブ

Jリーグ選手1名輩出!
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歴代大会記録:横浜市内大会優勝2回、準優勝3回
在籍者60名以上※2016年2月末現在

コーチ’s BLOG

森太郎へ

出会いは8年前の夏の終わりだったと思う。

 

当時、関西の大学に進学し卒業後も定職に就かずぷらぷらしていた頃、東日本大地震が起こってどうしても地元に帰りたくなって横浜に戻ってきた。お世話になったコーチ達に挨拶がてらクラブに顔を出したのがきっかけで僕のコーチ人生がスタートした。

 

その時に6年生だったのが森太郎。

 

良く笑う明るい子で、人懐っこくて、ちょっとやんちゃで、でも憎めないくらい愛おしくて。プレイスタイルとか背丈とか、まるで小学生の頃の自分を見ているみたいだった。

 

本人にも「森太郎、昔の俺にそっくりだよ」って確か言った気がする。

 

当時はサッカーコーチなんて言えるほど知識も無いしセンスも無いし、きっと何も伝えられなかったけれど僕にとっては大切な大切な初めての教え子だった。

 

この頃のクラブは本当にドン底で、部員が一斉に退部したり人数が少なくて近所のクラブと合同で試合に出たり、当時の子供達には本当に辛い思いをさせてしまったと思う。そんな崩壊寸前のクラブだったけど、3人だけ、たった3人だけだけど、うちのクラブを選んで卒団まで一緒に戦ってくれた選手がいた。今うちでスタッフとして頑張ってくれている大輝もその一人。森太郎も。

 

卒団式の後、3人の卒団生と一緒にご飯を食べに行って、その時にクラブでの思い出を照れ臭そうに話していた森太郎の顔を今も覚えている。

 

きっとこの時、この3人に出会っていなければ今僕はサッカーコーチなんてやっていなかったと思う。彼らの想いとか、笑顔とか、ボールを追いかける姿とか、そういうものに魅了されて知らないうちにのめり込んでいった。僕のコーチとしての原点。そんな存在だった。

 

中学・高校と時を経ても付き合いは途絶える事なく、むしろ深まっていった。思春期には少し生意気になったけれど、時間があればグラウンドに来てくれて練習が終わったら一緒にご飯を食べに行って。お礼とか挨拶とか、チャラチャラしているくせに意外としっかり出来る奴で可愛くて仕方なかった。

 

高校生になってからはバカみたいにアルバイトに明け暮れて、僕の職場にもバイトに来てくれた。ご飯行っても「今日は俺自分で出しますよ」なんて言うから、大人になったなぁって嬉しくなったりして。バイトと受験で忙しいのに合宿先までバイクで来てくれた事もあった。

 

恥ずかしがりやだから直接なんて聞いた事なかったけれど、きっと森太郎は港南台SCが大好きで僕たちと一緒にいる時間を大切に想ってくれていたんだと、今なら悔しいくらいにそう思える。

 

年齢も立場も違うけれど、このクラブを共通点として毎週のように会う家族みたいに大事な仲間が出来た。お調子者でヘラヘラしてて、たまに真面目な話してもどっか抜けてて、でも変な事はよく知ってて、お腹いっぱいになるとスグ眠たくなって…森太郎は末っ子みたいな存在だった。

 

 

「松尾くん、俺春からクラブでコーチやりますよ!」

 

3月の最初くらいだったかなぁ…初めてちゃんと約束してくれた。紆余曲折ありながらもやっとこさ進路を決めて自分の将来について真剣に考え出した頃、あいつの未来図の中にうちのクラブが存在している事がすごく嬉しくて、自分の教え子と一緒にまたサッカーが出来る幸せを感じた。受験勉強中も参考書見るフリしてサッカーの勉強していたって聞いて、森太郎らしいなって笑えた。

 

3月31日

 

今年卒団した6年生達と一緒に焼き肉を食べに行った。いつもと何も変わらないメンバーに選手、保護者も交えて楽しい時間を過ごした。その会がお開きになった後、いつもみたいにスタッフだけでコンビニに立ち寄って他愛ない話をした。あいつに最近いい感じの女の子がいるとか、こいつは最近彼女と別れたとか。本当に何でもないようなバカ話をいつもと同じように時間が過ぎるのも忘れて話した。

 

その帰り道、2台の車に別れて乗って森太郎とは別々に帰った。途中の信号で方向が別れるから、窓も開けないで手だけ振って、じゃあねって言って帰った。

 

 

4月3日

 

港南区選抜のスタッフをしている関係で、日野南中のグラウンドに居た。練習中に電話が鳴ってスマホの画面を見ると森太郎だった。月末に予定していた山梨遠征の事で電話をくれた。僕がバタバタしているのを知っていたから、遠征の車の手配とか諸々を森太郎が引き受けてくれていた。しばらく話をして、詳しい事はまた週末にでも話そうかって言って電話を切った。

 

「それじゃあ、また日曜日にね」って言って。

 

いま考えると、コーチをやりますって言ってくれたのも普段から何かとバタバタしてテンパってしまっていた僕を見兼ねて、助けてあげたいと思ってくれた森太郎の優しさだったと思う。

 

結局、これが森太郎と交わした最後の会話だった。

 

 

その電話を切った3時間後、森太郎は事故に遭った。

 

その日の夜、家に帰ってボケっとテレビを見ていたらラインが鳴った。大輝からのラインだった。

 

「まつおくん」「しんたろーが事故ったって」

 

身体の震えが止まらなかった。

まだ何も状況がわからないのに涙が溢れてきた。さっきまで電話してたのにって。

 

急いで病院に駆けつけたけれど、森太郎はEICUに運び込まれていて面会すら出来なかった。考えたくはなかったけれど、最悪な状況が脳裏を何度も何度も過って居ても立っても居られなかった。

 

何かをしていないと心がおかしくなりそうで、森太郎が事故に遭った現場へ向かった。

 

そこには警察車両が何台も止まっていて、鑑識やレッカー車も来ていた。事故を起こしたトラックとフロント部分が曲がった森太郎のバイクが残されているのを見て言葉を失った。

 

4月8日

 

森太郎への面会が許された。

仕事が終わって急いで病院に駆けつけるとご両親が待ってくれていた。病室に入る前に伝えておかなければいけない話があると、僕たちに状況を説明してくれた。

 

もう二度と意識が戻らない事、病院に搬送された時には心臓が破裂していた事、奇跡的に一命は取り留めた事、脳に重いダメージが残ってしまった事を、ぐちゃぐちゃな気持ちを抑えながら気丈に、そして丁寧に説明して下さった。

 

悔しくて悔しくて、やり切れなくて、悲しくて、世界が灰色になった。

 

病室に入ると森太郎がいた。

 

たくさんの管につながれてベッドに横になっていたけれど、手を握ると温かくて、声をかけると鼻血を出して反応してくれた。意識はないけれど僕たちの声に必死に反応して、今にも途切れてしまいそうな程頼りない命の糸に懸命にしがみついて生きようとしていた。

 

4月9日

 

クラブ代表と一緒に森太郎に会いに行った。

前日よりも表情は穏やかで、たくさんあった機械も少し減っていた。オシャレなファッション雑誌が枕元に置いてあって、まるで昼寝でもしているみたいだった。泣きながら身体を揺すって起こそうとしている代表を見て、悔しさと悲しみが溢れてきた。隣を見ると気丈に振る舞っていたお父さんが膝から崩れ落ちるようにベッドにもたれかかって泣いていた。

 

事故の数週間前、森太郎と話した事を思い出した。

 

進路の事で父親とぶつかって母親とは普通に話をするけれど、父親とは最近あんまり会話をしていないと。

 

お父さんの心情を思うと胸が張り裂けそうになった。

 

 

4月16日12時35分

 

最後にお見舞いに行ってからちょうど1週間後、森太郎は亡くなった。

 

何度も何度も止まりかけた心臓が、まだ生きたい、まだ頑張れるって何度も何度も持ちこたえて、最期はご両親が来るのを待ってゆっくり止まってしまったとお母さんが話してくれた。

 

やれば出来るって言っていつも出来なくて、ビビりで危なっかしくて、チャラチャラしたお調子者だったけれど、19年8ヶ月の中で間違いなく1番頑張った2週間だった。信じて待ってくれている人たちの為に、まだ終われないだろって、まだ生きたいんだよって、1秒でも1時間でも長く心臓を動かし続けようとしてくれた。本当に良く頑張ってくれた。

 

4月21日

 

今まで当たり前のように何回も一緒に過ごして来た日曜日。明日から月曜日かぁ〜って毎週嫌がっていた日曜日。終わる事なんて考えてもいなかった大切な仲間との時間。

 

森太郎と過ごす最後の週末になった。

 

葬儀までの時間、自宅に帰って来た森太郎に会う事が出来た。ご自身もきっととてつもなく辛いのに僕たちの事を考えて下さったご両親には本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

いつも集まっていた仲間で森太郎を囲んで、昔話をして笑ったり、声を上げて泣いたりして一緒に時間を過ごした。

 

「森太郎は必ずみんなと一緒にいます。一人でいるのが寂しい子だったから、空をふらふら飛び回って必ずみんなと一緒にいると思います」

 

「生きるってすごい事だよね。生きていれば何でも出来るもんね」

 

森太郎を見つめながらお母さんとお父さんが伝えてくれた言葉を、僕は絶対に忘れない。

 

 

 

ねぇ、森太郎。

お前のお通夜には400人近い人たちが参列してくれたって。いつもうちらと一緒にいる時の森太郎しか知らなかったから、森太郎がサッカークラブ以外の場所でもちゃんと人を大切に出来ていたんだって想うと嬉しいかったよ。こんなにたくさんの人たちに愛されて幸せだったね。

 

ご両親もお姉さんもとても素晴らしいご家族だと思ったよ。お父さんはきっと森太郎が思っていた以上に森太郎の事が可愛くて、心配で、放っておけなかったんだと思う。病院では泣いていたけれど、葬儀の時は最後まで毅然とした表情で涙を見せずご家族を支えていたよ。

 

もしあの時、あと5分長く電話をしていたら、週末じゃなくてその日に会っていたら運命は変わっていたのかも知れないと思うと悔やんでも悔やみ切れないけれど、森太郎は俺たちにとんでもなく大切な事をたくさん教えてくれたから少しずつだけど前を向いて歩こうと思うよ。

 

思い出すのは笑顔ばっかりで、みんなで話していても嫌な話なんて一つも出てこない。今もまだ名前を呼ぶ声や最後の会話が耳に残って悲しくなるけれど、その声をずっとずっと覚えておくから俺たちの事も忘れないで見守っていてね。

 

森太郎。

 

ありがとう。

 

よく頑張ったね。

 

またね。

 

 

 

港南台サッカークラブは永遠に森太郎と共に。

  2019/04/30   サッカーコーチ

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